今回のインタビューは福島大学地域未来デザインセンター相双地域支援サテライト所属の福島県復興支援専門員の伊藤航さんです。
伊藤さんは浪江町にあるサテライトを拠点に原子力被災12市町村を対象に地域の皆さんと共にいろいろな地域支援活動に取り組んでいます。

(インタビューは動画、文字どちらでもご覧いただけます。)

PROFILE

福島県復興支援員 伊藤 航 さん
所属:福島大学地域未来デザインセンター
着任年月:2023年8月~
出  身:山形県
活動内容:原子力被災12市町村の地域復興支援

Q.着任のきっかけ

 きっかけは僕⾃⾝福島⼤学の卒業⽣なのですが、その時のゼミの先⽣が今所属している地域未来デザインセンターのセンター⻑もやっていてその恩師の先⽣(鈴⽊典夫センター⻑)から「こういう仕事があるんだけどどうだい」というふうにお声掛けいただいたことです。

 よく勘違いされるのですが、出⾝は福島県じゃなくて⼭形県出⾝です。⾼校卒業まで⼭形で過ごし、⼤学進学をきっかけに福島県に来ました。⼤学 3 年⽣の春休みがちょうど 2011 年の震災のときで、当時福島⼤学が避難所になったことがボランティア活動のきっかけになり、学⽣ボランティアとして避難所の運営に⼊ったことが最初の地域づくりに携わるきっかけになりました。そこから学⽣団体の災害ボランティアセンターを⽴ち上げました。学⽣代表が 3 ⼈いるのですが、その 3 ⼈のうちの 1 ⼈になって当時は活動のコーディネートや、県外からボランティアに⾏きたいという学⽣がたくさんいたので彼ら彼⼥らのコーディネートをしていました。

 そこから福島県内で⼀度就職をしたのですが、地域コミュニティとか災害ボランティアというものを体系的に学び直したいなと思い、仕事をやめて福島⼤学の⼤学院に進学しました。その中で、災害ボランティアセンターでアドバイザーという形で組織の運営⽀援や活動のコーディネートをやっていました。その後全然分野が変わるのですが、⾃然学校と呼ばれる分野で⾃然体験活動を通して環境教育をしていくという団体に 3 年ほど所属していました。

 活動の中で 2019 年に東⽇本台⾵という⼤きな災害が発⽣し、その災害の被害の⼤きかった宮城県の丸森町というところに災害ボランティアセンターの運営のサポートという形で⼊らせていただいて、それがきっかけになって丸森町の地域おこし協⼒隊に着任しました。協⼒隊の活動が終わったときに冒頭に⾔った恩師(鈴⽊典夫センター⻑)から、この地域未来デザインセンターの話しをいただいて着任しました。

Q.活動内容(ミッション)について教えてください

 福島⼤学地域未来デザインセンターなのですが、本部は⼤学がある福島市⾦⾕川に構えていて、さまざまな地域課題であったり社会課題に対して取り組んでいく⼈材の育成や、事業を起こしたりということを本部ではやっています。その中で僕がいる相双⽀援サテライトというのは福島原発被災 12 市町村を対象にした事業になっておりまして、現在は浪江町と富岡町にサテライト事務所を構えています。

 サテライト事業には 3 つ柱があります。1 つ⽬が地域復興⽀援、2 つ⽬が教育環境整備、3 つ⽬が企画連携、となっているのですが、僕がやっているのは 1 つ⽬の地域復興⽀援です。

 その中でもやっていることが多岐にわたっていて被災地スタディーツアーや、学⽣のインターンシッププログラムをつくるなど、他にもいろいろあるのですが、僕が主に担当していることが 2 つあって、1 つ⽬が復興公営住宅など町外に避難している⽅たちのコミュニティ⽀援と、その⽅たちの困り事や課題を解決していくこと。

 2 つ⽬が福島⼤学市⺠講座といって、⾃治体や住⺠の⽅にヒアリングをして、出てきた課題に対してアカデミックな視点で⼤学の先⽣を講師にお呼びするとか、専⾨家につなぐなどしてその地域にある課題の解決のための講座研修会を開いていく。そのようなことを主に担当しております。

 市⺠講座として開催した防災まち歩きですが、⼀度コミュニティがなくなってしまった地域において隣近所のことも知らない移住者にとっては地域の危険箇所もわからないという中で、万が⼀災害が起きた場合に、はたして⾃分の命を守ることができるのだろうか。というところに地域の課題をもっていまして、防災まち歩きというものを企画しました。福島⼤学の中で、すでに地域のまち歩きを通して防災に活かす取り組みをされている先⽣がいらっしゃったので、その先⽣とゼミ⽣に協⼒していただいて浪江町の幾世橋地区というところで実際に住⺠の皆さんと⼀緒に町を歩き、地域の危険箇所を確認し、マップ上に落とし込むということを実施しました。

 

Q.活動の魅力・やりがいについて

 僕の⽴場が 1 プレイヤーというよりかは、地域のコーディネーターという役割なので、より多⾓的に多様な視点で地域を⾒られるということが魅⼒の⼀つかなと思っています。本当に様々な⼈がいらっしゃるので、そういった⼈たちと、様々な専⾨家の⼈たちをつなぐことで、僕⾃⾝がいろんな⼈との出会いがあり、交流があるので、そこが⾃分の活動の魅⼒だと思ってます。

 もう⼀つが、浜通り地域は復興⽀援員や地域おこし協⼒隊の⽅も多くいらっしゃるので、いろいろな活動をしている復興⽀援員の⽅や地域おこし協⼒隊の⽅と知り合うことができますし、先⽇復興⽀援員と地域おこし協⼒隊の交流会がありまして、知り合った他の⽀援員の⽅たちとお話をする中で、皆さんとても地域に思いをもって活動されている⽅が沢⼭いて、それがすごく刺激的というか⾯⽩い⼈たちがたくさんいる地域なんだな、なんて思いながら今は⽣活をしています。

 

Q.地域での暮らしについて

 実は今まで⾃分の⼈⽣の中で海に⾯したところに住むというのが初めてなんです。なので、すごく新鮮な感じがするなと思っています。浜通りということで温暖な気候というか、今まで秋冬はすごく寒くて雪が降るような地域にばかり住んでいたので住み良いなといような印象があります。

 あと僕がこの浜通りに来るに当たってというか、それこそ 13 年前に原発事故があって中通りに避難されてきた⼈たちのお話しの中に、浜通りのお話しが出てきたんです。富岡の桜のこととか、浪江町の安波祭のこととか、そういった住⺠の⽅のお話しの中に出てきた場所に今⾃分が住んでいる。それを体験しているというか、そこの暮らしをまさに今⾃分が経験しているというところが不思議な感覚になるなと思いながら⽇々を過ごしています。

Q.今後の目標について

 僕⾃⾝が 2023 年の 8 ⽉から着任して半年くらい経ったのですが、この半年間で作ってきた関係性だったり、⾒聞きしたものがあるので、⽬の前の⽬標としてはこの半年間で⾒てきたものを活かしながら新しい事業を作っていくというところをまず⽬標にしたいと思っています。

 ⻑期的な⽬標でいうと、この地域づくりというのは 1、2 年とか短いスパンでは絶対達成することができなくて、10 年とか⻑いスパンで地域を⾒ながら、関わりながら作っていくものだと思っているので、そういった⻑期的な視点を持ってこの浜通りに関わっていきながら、そこに⽣きる⼈たちの平時の暮らしを作っていく中のお⼿伝いだったり、⼩さな⽇常の延⻑というかそういった中で住⺠の⼈や新しく町に住んだ⼈たちが喜んでくれたりとか、やって良かったなと思えることを僕は⼤事にしていきたいなと思っているので、そんな活動を続けていきたいと思っています。

 

地域の方にお話を伺いました

北幾世橋北行政区長 佐藤幹治さんにうかがいました。

Q.伊藤さんの印象について

 私らからすると息⼦以下で孫くらいの年齢だから。何にでも顔を出す⼈だなって思っていたんですよ。そんなとこですね。いい印象しかないですね。

Q.日頃、伊藤さんとはどのような関わりがありますか

 防災まち歩きでは我々は 70 年も(この地域に)いるから、⼤して危険だとは思わないんだけどみんなが歩いて「ここ悪い」「ここは危ない」っていうのを出してもらったから改めて悪いところ危ないところを認識させてもらった。

 昔の⼭城があるんですが、不動尊を祀ってあったところを、もう⼗何年経ってたくさん荒れていたからそこを刈払いする、という時にもやっぱりいてくれた。(不動尊の)扉開けるって時もまた居たなって⾔って、その後でもよく顔を突き合わせていました。

Q.伊藤さんへのメッセージ

(佐藤さん)この地区はどういう⽅向に向かったらいいかな、というようなことを道しるべになるようなことをやってもらいたいような気がします。私らの息⼦らはもう帰ってくる気はないみたいだから。限界集落だなぁ。私たちはおんぶに抱っこしかないもんですから。

(伊藤さん)きっかけは佐藤区⻑たちが地域の防災が今この状態じゃ命が救えないという危機感を持っていらっしゃったので、その声を受けて僕らができることをやらせていただいているので、逆に僕たちがとても学ばせていただいたことが多かったと思っています。

(佐藤さん)助けてもらわなければ私たちだけでは動けないので、本当に、本当に期待しています。今後ともよろしくお願いします。