PROFILE |
地域おこし協力隊 |
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福島県柳津町には約400年前、大地震で倒壊した福満虚空藏菩薩圓藏寺を再建する際、赤毛の牛の群れが現れて木材を運んだとの赤べこ伝説があります。これまで町内には工房がなく、赤べこの生産はしていなかったそうですが、柳津町は伝統技術の獲得や担い手育成のため地域おこし協力隊を受入れ、柳津町産の赤べこ制作に取り組んでいます。
今回はその柳津町の赤べこの伝統と新化を担う、地域おこし協力隊の伊藤千晴さんにお話を伺いました!
※インタビューは動画、文章どちらでもご覧いただけます。
Q.着任のきっかけを教えてください。
もともと伝統工芸に興味があり、伝統工芸や昔ながらの仕事に関わる仕事をしたいと思っていました。
地域おこし協力隊については大学生の頃に知っていて、大学卒業後、社会人経験を経て転職するタイミングの時に、東京で開催していた移住定住関係のイベントに参加をして、たまたま柳津町の協力隊募集を知りました。
話を聞いてみると、私のやりたいことをたくさんできるなと感じたので実際に見学に行くことにしました。雪が降らない地域の出身なので、雪の生活がどんなものなのか心配だったこともあり、雪の多い2月を狙って見学に行ったのですが、その時に景色に心を奪われてしまって。その景色の中で暮らしたいという気持ちがやりたいという気持ちを上回ってしまったということもあって応募し、幸いにも採用していただけて、今に至ります。
Q.活動について教えてください。
赤べこの制作技術取得と柳津町内への工房立ち上げによる地域活性化をミッションに活動しています。今まで、別の町の一般企業に協力をいただいて、赤べこ制作の研修を受けていたのですが、昨年秋に研修が終わり、今は教えていただいた技術を活かして自分なりに制作をしています。また、工房作りに向けても動いています。
Q.赤べこについて教えてください。
柳津町は「赤べこ伝説発祥の地」として町の振興を図っているところです。その伝説とは、数百年前に大地震で倒壊した福満虚空藏菩薩圓藏寺を再建する際、どこからともなく現れた赤毛の牛が木材を運んで人々を助けてくれたという話があって、それを聞いた当時の若松城主が赤べこづくりを推奨したとか。なので、制作自体は会津の下級武士の内職として始まりましたが赤べこの起源は柳津町にあって、そのため町では地域おこしの一助とするため、地域おこし協力隊を入れて柳津町の赤べこをつくり始めることになりました。
このようなことからも、新たな赤べこを制作することで、伝統を引き継ぎつつ、会津全体としても伝統の新化の流れになっていくのかなと思っています。
Q活動の魅力ややりがいを教えてください。
たくさんの方に知っていただける時期に仕事に携われており、私の活動や赤べこの魅力を新たに知ってもらえる機会が多くなっているというのもやりがいや楽しみにつながっています。
Q.柳津町での暮らしはいかがですか?
自分が見たい景色を見ながら暮らすというのは本当に心が豊かになる体験だなと感じています。こちらに来てから保存食に興味が出て、漬物を作りはじめました。雪国だからこそ育んできた文化や知恵を享受できているというのは、こちらに来なかったら得られなかった体験だと思うし、地域おこし協力隊として移住をしているというマインドだからこそ興味が持てたことかなと思います。
Q伊藤さんの作る赤べこについて教えてください。
私がつくる赤べこはかなり丸い形になっているのが特徴だと思います。おしりもだいぶまんまるにしていますし、横から見ても丸い。顔もキャラクターっぽくしています。
模様の部分に関しては、伝統を踏襲しつつ他の工房とかぶらないようにしています。また、いちばんの特徴は背中の模様で、柳津の「や」の字を崩してリボンぽくしてみました。
Q今後の目標を教えてください
柳津町の赤べこをより広く知ってもらえるように広報活動や情報発信をがんばっていきたいと思っています。
海外との交流も増やし、赤べこを通して会津地域、ひいては福島県全体を盛り上げていければと希望を抱いています。
Q応募を検討している人にアドバイスをください
やりたいことや目指す姿が明確になっている人にとっては地域おこし協力隊はすごく楽しいと思います。天職であったり、生涯やり続けられる何かを見つけられる制度だと感じています。また、自分ひとりで何かができるわけではなく、沢山の人と協力できるのも地域おこし協力隊の魅力だと思います。
まずは、興味がある地域に行ってみたり、話を聞いてみたりして、一歩踏み出して実際やってみるのはすごくいいと思います。