PROFILE
顔写真
復興支援員 佐藤 亜紀 さん 
所属地域:大熊町
着任年月:2014年6月
出  身:千葉県
活動内容:コミュニティ支援

Q1.復興支援員に着任したきっかけを教えてください。

 いまの仕事に就く前は東京に住んでいました。私の母が双葉町出身だったので子供の頃によく遊びに来ていたこともあり、この辺の地域には親しみを感じていて、震災後は原発立地町のために何かしたいとずっと考えていました。インタビュー画像

 東京では、震災から時間の経過とともに人々の中から被災地への関心が徐々に失われているように感じました。ニュースでも震災や原発事故について取り扱うことが減り、未だに避難している人たちがいても思い出すのは3月11日くらい。そのことへの憤りもありました。また、私自身、元々伝統文化に興味があって、住民が離ればなれになった避難地域の伝統文化は未来に継承されていけるのだろうか?ということも気にかかっていました。

 大熊町復興支援員の活動内容には、避難先のコミュニティ維持に加え、伝統文化の継承も含まれていることもこの仕事に携わりたいと思った理由です。

 今年で7年目になりますが、私自身、まさかこんなに長く続けるとは思っていませんでした。

 活動を始めたら大熊町の人たちのことが大好きになり、毎日がとても楽しくてあっという間に7年目を迎えました。

Q2.活動内容についてお聞かせください。

 大熊町民のコミュニティ維持のための活動をしています。大きくは町内に向けた活動と、町外へ避難している方たちに向けた活動の二本柱で活動をしています。

 着任して最初のミッションは、町外に避難している町民の方たちを繋げることでした。これまでに、離ればなれになっている町民同士が再会できるように交流会を何度も開催しました。そして、会の中心的役割を担ってくれる方たちに呼びかけ、コミュニティ団体を設立。11団体の設立支援に携わりました。

 町内にむけた活動は避難指示解除になる1年前から始めました。(注※平成31年4月10日町の一部地域の避難指示解除

 町内にむけた活動は、大熊町と、避難先にいる町民の心理的、物理的の両面での繋がりをつくることを大切にしています。町内でのコミュニティ支援だけではなく、町外に避難している町民が大熊町に来やすくなるように意識しながら活動しています。

 町内では、盆踊りやバーベキュー、餅つき大会を開催しました。大熊町では以前に108つの臼を並べて「めざせもちつき日本一」を合言葉に日本最多の餅つき大会を開催したことがあるそうです。その時の思い出が印象に残っている町民の皆さんが多いらしく、餅つき大会を開催したときはとても盛り上がりました。当日は、わたしも餅つき体験に加わり、はりきってこねどりをしました。大熊町で生活する東京電力社員の皆さんも参加し、みんなが一体となって歌を歌い、餅つきをする様子にとても感動しました。

 今年は、コロナの影響であいにく中止になってしまいましたが、聖火リレーに合わせてよさこい踊りをする予定でした。活動を通して仲間が増え、じわりじわりと町内でもコミュニティの輪がひろがっているのを感じています。


Q3.どんなときにやりがいを感じますか?

 コミュニティ団体が立ち上がり、大熊町の人たちがイキイキとする様子を見たときに一番やりがいを感じます。コミュニティ団体をみんなでやっていこう!とみんながやる気になった瞬間のみんなの姿に私も元気をもらいます。

 仕事ではいつも町民のみなさんに頼りまくっています。そして、常にいろいろなことを教えていただいています。最近では、だいぶ大熊の知識が増えてきたので、みなさんが話している内容についていけるようになったことにも喜びを感じています。

Q4.今後の展望を教えてください。

 町外で離ればなれで暮らしている町民同士の繋がりが、無理なく長く緩く続いていくよう、これからも支援し続けていきたいです。この活動は、もしも支援員としての仕事が無くなったとしても、一生やりたいと思っています。

 個人的なことで言えば、大熊町で農業をやったり、大熊町にある様々な伝統芸能を継承していきたいです。 

 大熊町のみなさんからは本当にかわいがっていただいています。私も皆さんのことを心から尊敬し、大切に想っています。

 いつも、飲み会はもちろんのこと、様々な場面で声をかけていただいています。最近は、新庁舎の近くにあるポピー畑の手入れを町民の方と一緒に行っています。

インタビュー画像 震災からこの仕事に就くまでの3年間、被災地のために自分は何ができるだろうかとかなり悩みました。最初は東京にいながらでも何かできるかもしれないと思うこともありましたが、思い切って飛び込んでみて本当によかったと思っています。


関連リンク

大熊町ホームページ
大熊町復興通信